横浜で活動写真が上映されて120年
日本が開国によって開港した横浜には近代文明の波が押し寄せてきた
活動写真とよばれた映画が横浜港座、現在の横浜スタジアムの近くで初めて上映されてから今年(3月9日)で120年になる。
現在その付近に劇場は存在していない
しかし新しいパフォーマンスを小規模ながらも披露できるカフェや
中区役所別館の小ホールでは劇場映画の予告編と新作ショートムービーを定期上映している「グランカフェヨコハマザ」が開催されている。
横浜映像定期上映情報サイト「シネマダッシュ」
http://ndas-c-dash.movie.coocan.jp/
横浜開港資料館報「開港のひろば」第89号より以下をご紹介します。
横浜に映画館がなかったころ
明治30年(1897)3月9日、予定より3日遅れて、住吉町の港座で仏リュミエール社「キネマトグラフ」が公開され、横浜での活動写真上映の歴史が始まった。映写機は、東京新橋の吉沢商店(錦絵・郵便切手・写真機などの貿易商)が、在日イタリア人ジョヴァンニ・ブラッチャリーニから手に入れたもので、そのフィルムは12本あったという。内容は「停車場の雑踏、海水浴場の景状、小供遊び、美人踊数種、その他総て原形の儘活々飛動するものにて」と『東京朝日新聞』にはある。
東京での映画初公開は、神田錦輝館(きんきかん)(エジソン社「ヴァイタスコープ」)で、同月6日であった。そして、浅草電気館が、本邦初の映画常設館として営業を始めるのは、6年後の明治36年(1903)10月、横浜はさらに5年遅れて、明治41年12月のMパテー電気館(のちの敷島館)の開業をまたなくてはならなかった。
http://www.kaikou.city.yokohama.jp/journal/089/089_05.html
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